みことばの糧1212

『救い主降誕の布石』

出エジプト記2章1節~10節
 モーセの誕生を通して、神様の選びと祝福について学びます。神様の選びと祝福は、第一に創造によって始まります。アダムとエバに始まり、私たちは神様によって命を創造され生きる者とされています。従って誰一人、軽んじられていい命など無く、すべての命は神様の祝福によることを私たちは宣べ伝えていかねばなりません。
 第二に、神様はノアを選ばれました。彼が「神に従う無垢な人」(創世記6:9)だったからです。第三に、アブラハムを選び祝福されました。理由は一切記されていません。神様はまたも一方的にアブラハムを祝福し、その恵みはイサク、ヤコブ、ヨセフへと“血脈”と共に受け継がれていき、イスラエル民族は天の星のように増えていきました。
 ところが、ヨセフの子孫たちはせっかくの選びと祝福を、背景に飢餓があったとはいえ、エジプトに定着したために失うことになり、「奴隷」となってしまいました。
 イスラエル民族は選びと祝福を無にしてしまったわけですが、神様は再びモーセを選ばれ、祝福されたのです。
 モーセの父と母が誰であるのかは記されていません。ただ「レビ人」とあるだけです。ここで特定個人的な血脈は途絶えることになりました。レビ族が特別の意味を持つのは、モーセとアロンが祭司に任命されてからのことです。それまでは、「シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具…、彼らは怒りのままに人を殺し」(創世記49:5-7、同34章参照)とあるのみです。
神様は、自ら選びと祝福を捨ててしまったイスラエル民族をもう一度、選び直し、祝福されたのです。またその時代背景は、「奴隷の子(イスラエル人の子)は殺してもよい」という罪に満ちたものでした。これが人の世の実相です。しかし、神様の選びと祝福は途絶えないのです。
そこに、助産婦の愛、母の愛、姉の愛、王女の愛、召使いの愛があったことを忘れてはなりません。選びと祝福は神様からもたらされるものですが、私たち一人一人が受け取り手となること、すなわち神の愛を信じ、神の選びと祝福を宣べ伝えていくことが求められているのです。
 やがてイスラエルは王国を失い、定住地すら失います。しかし、神様は私たちが祝福を受け継ぐことができるように御子キリストを降誕させ、すべての民族、すべての人が永遠の命の救いに至ることができるようにして下さいました。私たちは戦争が続くこの時代にあっても、主の御恵みを宣べ伝えて参りましょう。ハレルヤ!

中島 聡牧師