『日毎の糧を与える主』
出エジプト記16章23節~31節
神様の祝福と加護によって過越の災い、エジプト全軍の猛追をかわし、「約束の地」への帰還を目指すイスラエル民族(壮年男子だけで60万人!出エ12:37)の先頭に立って導くモーセ、実に80歳。
さらに、ここから「荒野の40年」へ進み行くのですから60年間の羊飼いが、今ここに活かされることになるわけです。
アブラハムがハランの地を発って「約束の地」を命じられたのが75歳。祝福の証、イサクを与えられたのが100歳(創世記21:5)。聖書は年輪を重ねることの豊かさを見事に描いており、これぞ信仰であることを示されます。
これらの豊かさは、すべては主の祝福と加護を信じて、力強く歩み出すところにもたらされるのです。そのため、大切にしなければならないことは、「主の聖なる安息日」を第一とすることです。
荒野に踏み込んだイスラエルは、飢えと渇きに苛まされますが、主はマナと鶉を与えてくださいました。これはイスラエルの民が必ず「約束の地」に帰還できることの証です。しかし、そのためにはマナと鶉を第一にするのではなく、主を第一とする信仰が大切であると教えられているのです。
安息日について、創世記2:3「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」以来、聖書に一度も登場しません。そして、今、荒野を生き抜き、約束の地を目指すために、再び、登場するのです。これは人生を生き抜き、天の国を目指す私たちに、もう一度、最も大切なことは何かを教えようとしています。
マナと鶉が与えられることは大きな感謝ですが、最も大切なことは主の安息の日(今日では主の復活の日)を覚え、主日に礼拝を捧げることなのです。
神様はこの後、なかなか従うことができない民のために契約の証として、「十戒」を授けてくださいました。そこには、第四戒に「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあります。
主の祈りには「安息日」という表記はありませんが、冒頭「天にまします我らの父よ、願わくば御名をあがめさせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」という祈りが聖別の信仰を顕しています。日毎の糧を下さる主に感謝しつつ、礼拝を大切に守って参りましょう。敬老祝福式、受洗50年顕彰式、誠に感謝いたします。
ハレルヤです!中島 聡牧師